当社は東六甲山麓唯一の霊場で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社です。
甑岩を霊岩とする信仰は磐境(いわさか)・磐座(いわくら)祭祀と呼ばれ、当社が鎮座する地域一帯の磐座群の象徴として祀られており、古くから特に女性守護、子授・安産の神さまとして信仰されています。
神社の創始は、600年~700年頃と推定されるぐらい由緒深く、延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。正保年間(西暦1644年頃)に社殿が再建され、明暦二年(西暦1656年)の八月十六日に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称しました。以後、数回社殿は修復されましたが、現在の見事な片削破風羽流造のご本殿は昭和十一年に、また、拝殿は昭和五十八年に御造営となったものであります。
歌謡に『杜のふもとに甑を立てて、招く湯の里ヨホホイ越木岩』とうたわれて、越木岩・苦楽園・夙川・鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神(うぶすながみ)としてあがめられていいます。
上新田地区、下新田地区から1面ずつ納められた絵馬です。伊勢神宮へのお参りを記念したもので、西宮市指定有形民族文化財となっています。